和酒で乾杯!

「灘五郷がいかにして日本一の酒処になったのか?」を12のキーワードから読み解く。

2017年8月22日 nadafes2017

「神戸と西宮にまたがる灘五郷がいかにして日本一の酒処になったのか?」を12 のキーワードから読み解きます。

1. 灘五郷(なだごごう)
兵庫県神戸市、西宮市の海岸寄りにある西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷の5つの地域からなる、日本一の生産量を誇る酒処です。江戸時代に大きく花開いた伝統や風土を守りながらも幾多の試練を乗り越え現代へ受け継がれ、日本一の酒造量を誇る兵庫県・灘五郷が形成されています。

2. 下り酒(くだりざけ)
良質な米と水に恵まれ、技術も優れていた灘の酒は、江戸っ子に上方からの「下り酒」として愛されました。江戸に運ばれないお酒はくだらないお酒といわれ、「くだらない」の語源ともいわれます。

3. 樽廻船(たるかいせん)
灘の酒は江戸時代、大阪湾から千石船で江戸に運ばれ、早く大量に出荷できました。吉野杉の樽にて熟成されて、その味が江戸っ子を虜にして、最盛期には江戸の酒の需要の8割を供給する人気ぶりでした。

4.宮水(みやみず)
西宮の水はミネラルを多く含む硬水で、仕込水として使用する事で良質な酒が造られました。このお酒は江戸の市場でも大好評となり、灘や他地方の酒造家も競って西宮の水を使うようになりました。「西宮の水」が「宮水」となったといわれています。

5.山田錦(兵庫県産)
最高の美点を備えた酒米として、日本全国の酒蔵から求められ続けています。六甲山の山あいに酒米の生産地を持つ灘五郷の酒蔵は、古くから山田錦を灘の酒の原料としてきました。最適の気候と地形、水分と養分をたっぷりと含んだ土壌で育った「山田錦」 。その種子は厳格に管理され、およそ80年に渡り守られています。

6.灘の男酒
灘五郷一帯に沸く水の水質は中硬水でミネラルが豊富で鉄分やマンガン値が低く、ここで造られる日本酒はキレのある辛口のものが多く、「灘の男酒」と称されます。一方、軟水を用いた比較的酸の少ない甘口の伏見の酒は「女酒」と言われます。

7.秋晴れ (秋上がり)
丹波流と言われる高度な酒造技術により、寒造りで醸し出された酒は秋になって香味が整い、 円熟味を増し、酒質が一段と向上することから「秋晴れ」の灘の酒が生まれました。

8.丹波杜氏 (たんばとうじ)
灘五郷の蔵人は、丹波地方の出身者が多く、日本三大杜氏のひとつである「丹波杜氏」として有名です。機械化も進む今日の酒造りにおいても「丹波杜氏」は灘の酒の味の決定者として、その責任を全うしています。

9.灘の生一本(なだのきいっぽん)
清酒のうちでも最も優秀な清酒を表す語として、古くから用いられてきました。元々は「灘で生まれ育った生粋の混じりけのない酒(原酒)」という表現とも言われています。現在では、灘五郷の単一の製造場のみで醸造した純米酒を「灘の生一本」と呼んでいます。

10.灘の寒造り(かんづくり)
灘五郷は六甲連山をバッグに温暖な瀬戸内気候で、冬は明石海峡を抜ける西風と六甲おろしの寒風が強く吹く「寒造り」に適した気候です。
気温の低い冬場に日本酒を仕込む寒造りは江戸中期に完成され、灘は寒造りを主体とする酒造法を積極的に進め、酒質の向上をはかりました。灘酒興隆の一因はここにもあるとされています。

11.灘の精米技術
六甲連山から流れる川の急流が水車による大量の精米を実現しました。精米技術も向上し、江戸時代は精白度の高い精米85%が行われ、美味しいお酒を大量に生産することができました。(精米技術は明治時代には 70% の精度まで上がりました。)

12.阪神・淡路大震災とその後
平成7年に発生した阪神・淡路大震災では、白壁土蔵造り、赤煉瓦の酒蔵などが崩壊し、伝統的な景観が損なわれました。その痛手からいくつかの中小蔵元が止む無く廃業に追い込まれました。
しかし近年では、幾多の試練を乗り越えた新たな取り組みとして、酒蔵の再建とともに飲食店や直販ショップを併設するなど、新規需要の開拓を試みる酒蔵も登場。
酒造資料館も全て再建され、日本の伝統を継承する場として一役を担っています。さらに、酒蔵数社が共同で一般消費者向けに酒の講座を催し、清酒のイメージアップと消費拡大を図るなど、日本酒文化の再興を目指して様々な取り組みが行われています。

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